Tokyo diary

本と映画の記録です

【映画】スリー•ビルボード

雰囲気のある映画。重たいけど爽やかな香りが残る

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映画館で見てよかったと思った映画に出会った。動機はたまたま六本木にいてたまたま時間があったから見た、という程度だったのだけど。舞台はアメリカ•ミズーリ州。気になって調べてみたら、アメリカのほぼど真ん中ですね。緑が美しく、街はこじんまりして、アメリカの田舎ってこんな感じなんだろなって思う、そんな街。だから、ジャケットの写真、ちょっとイメージ違うんですよね。真っ黒な背景になってるけど、映画見終わってから思うのは、ミズーリの牧歌的な田舎街の雰囲気を出してもよかったのではないかななんて思いました。この映画は、おそらくアメリカであればどこにでもあるような、小さくて、コミュニティが狭い、カントリータウンで起こっているできごとであるということが、とてもだいじな要素として存在しているから。ニューヨークやサンフランシスコではないので。

 

じゃっかんのあらすじをなぞると、物語は娘をレイプされて殺害された母親ミルドレッド•ヘイズが、捜査を進展させられない警察に苛立ち、街の外れの公道脇に3つの看板(スリー•ビルボード)を出すところからはじまります。

 

Raped while dying

And still no arrests?

How come chief Willloughby?

 

レイプされて死んで、なんでまだ逮捕されないの?ウィロビー署長?と。

 

街の中では尊敬を集めていたウィロビー署長への挑発からミルドレッドへの圧力がかかりはじめ、家族や広告屋 、職場の仲間にも影響が出てきます。しかしこれミルドレッドが善、警察が悪という単純な図式ではなく、ミルドレッド自身も平気で人殴ったり、汚い言葉吐いたり、道徳的ではない部分を持っています。一方の、警察側のウィロビー署長や、物語の後半で重要な役割を果たす、レイシスト警察官ディクソン。彼らが、事件の捜査をしてない訳ではないのです。いい加減なところもありますが。それに物語の中で彼らの人間性が滲み出てくる。というか、変化するんですね、さまざまなひととの関わり合いの中で。だから単純な悪しき警察VS不憫な母親という構造ではない訳で。言葉も汚いし、すぐに人殴るし、人種差別なんてきっと北海道で冬に雪が降るのと同じくらいのことで当たり前にこの街にあるのだろうなとか思うと辟易するシーンも多いのだけど、最後にはなぜか爽やかな気持ちで映画館を出ることができる作品だったなと思います。結論がある訳でもないのだけど、ね。

 

映画館で見てよかったです。 

 

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