Tokyo diary

本と映画の記録です

【本】みんなで手をつないで幸せになることが難しくなりつつあるこの時代に/金持ち父さん貧乏父さん

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言わずと知れた(?)ファイナンシャルインテリジェンスを高めるためのこの本、手に取りました。ベストセラーになるのもわかります。とにかく、分かりやすい。そんな中で思うことをつらつらと。

 

ラットレースから抜け出すためには

著者は、会社のために働き、収入を得るも、そのほとんどは(負債の返済を含む)支出に消え、それを繰り返し続けるお金との向き合い方を「ラットレース」と呼ぶ一方で、収入を何よりもまず資産に振り向け、資産が収入となる状態(お金が自分のために働いてくれる状態)を最優先すべしと説きます。極めてシンプルな図解と平易な文章で解説されるため、わかりやすいです。いまの生活は、負債こそなけれども、残念ながら無資産ですので、このまま何もしなければ”ラットレース”ゆきだな...と痛感しました。これを抜け出すには、資産としての株式、不動産、債権、投資信託などに収入を振り向けなければなりません。

 

金持ちは資産を買う

貧乏人の家計は支出ばかり

駐留の人間は資産と思って負債を負う (p120)

 

誰かが勝てば誰かが負けるゼロ・サムゲーム・・・なのか?

僕個人の(家計の)資産形成を考える上では、上記の忠告は耳が痛く、すぐにでも無駄にプールしている貯蓄を資産を買うことに振り向けていきたいと思う訳ですが、本文でも触れられているように、かなり多くの人が「投資」には手を出さず、「貯蓄」を重視します。とりわけ日本は金融資産のうちの貯蓄の占める割合が高い国であり、いま金融庁が一生懸命「投資から貯蓄へ」のスローガンを掲げています。

 

さて、そんな中、もしも仮にすべての人が著者ロバート・キヨサキの考えに従って投資のフィールドに出てきたら、それは結局誰かが勝って誰かが負けてしまう、すなわちゼロ・サムゲームなのではないかと考えてしまいました。根拠があって言っている訳ではありません。どのように考えればいいのかわかっていないで書いているのですが。すなわち、著者の理論にしたがって人生の勝者になれる(ラットレースから抜け出す)ための前提には、誰かが(しかもかなり多くの)ラットレースをし続けていることがあるのではないかと思ったのです。

 

ノブレス・オブレージュ(高貴さは義務を伴う)の精神でありたく

高貴でもないのにこのようなことを書いても仕方ないのですが、僕としては世の中の役に立つ形で、資産形成を考えていきたいと思います。もしも仮に望むような資産形成ができつつあると感じることができるようになったとき、それを自我のためでなく、世のため人のために使うことができるような、人格・徳を身につけていけるようでありたいと。そういう意味で、自分について、内省しながら学び続けることはとても大事なこと。

 

リーダーシップ教育か、ボトム・アップ教育か

今日お会いした友人とたまたま議論になったのはこの命題。教育といえどもその思想は人によりさまざま。いまどちらが大事ですかという話です。僕も友人もそこは前者であるとの意見で一致をみました。

 

まずリーダーシップ教育(エリート教育と言い換えてもいいかもしれない)を行って少数を引き上げ、そのあとで、彼らの徳・知見をいかに再分配し、全体の底上げを果たすか?という次の問いへの解を出すというステップをとることにより、最大多数の最大幸福を実現するという思想です。

現実の世界は、格差が容認ならざるほど拡大しているではないかとの批判が起きてくると思いますが、まさに「ノブレス・オブレージュ」の精神を持つ有意な人材をいかに選抜するかという選抜機能の精度の向上を通し、この課題を解決する道があるのではないかと、いまのところは考えています。機会の平等はもちろんのこと、見込みある人を引き上げるという意味合いでの善なる不平等は良しとするということです。

 

ただ、格差が拡大したいまのあるべきでない世の中において、誰がその適正な選抜機能を果たすことができようか?という次の批判が起きてきますね。この点については、いまだ有意な解を僕自身見いだせていないのが力不足ですが・・・。

 

思わぬ方向に筆が進みましたが、ためになる本でした。