Tokyo diary

本と映画の記録です

【映画】怒り

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信じたことによる絶望。信じられなかったことによる絶望。

日本の誇る豪華キャストが誇る、邦画っぽい映画です。2016年に観て以来2回目です。この間、さまざまな素晴らしい映画に触れてきたので、この映画どうだろかなーと思いましたが、やはり最後の30分えぐられるような凄みがありました。2回目の鑑賞を終えて、Filmarksではややスコアを下げさせていただきましたが(4.5→4.2)、それでもなお輝きを残す映画だと評価したいと思います。

 

八王子で起きた夫婦殺害事件の犯人が見つからない状況下、東京、千葉、沖縄の3つの土地に謎の男が現れます(綾野剛松山ケンイチ森山未來)。彼らのうち誰かが殺人犯、となる訳ですが、3人とも得体の知れない過去を持つがゆえ、周りのコミュニティの人びとはある時において疑いの目を向けてしまいます。それでも周りに溶け込む彼ら。憎めない笑顔もある。信じたい。だけど信じられなくなって裏切ってしまう。3人とも心の闇を抱えています。そして、彼らの周囲は信じたことで傷を負い、また信じきることができなかったことでも傷を負うのです。最後に、ある舞台においては再生のシーンが描かれ、かすかな希望を残して終わるものの、物語に通底するトーンは、ダークネスです。

 

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生きづらさを抱えて生きるこの社会の誰かの声が聞こえてくるような気がして

物語の起点となる夫婦殺人事件の背景が、この映画の暗さを醸し出していると思いました。犯人は、派遣労働者。真夏のある日、閑静な住宅街へ仕事で派遣されるも、派遣先企業の間違いで、指示された場所に仕事はなかった。そして暑さに疲れてたまたま通りかかった家の門の前で休んでいたところを気遣って水を差し伸べた、その夫婦を殺してしまうのです。犯行現場に残された文字は「怒」。おそらく犯人は、社会に向けてその文字を書いた。矛先は彼とは何も関係のない夫婦に向かった。。

格差拡大の現実に、目を向けてはいられなくなってきた現代の世だからこほ、この映画がそのリアリティによって、底知れぬ恐ろしさを保っているのでしょう。20,30年前の日本社会からは、このストーリーはうまれなかったのではないでしょうか。何も変わらない、ようにみえる日常に、凄惨さが潜んでいるのですよね。いまの社会には。

 

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怒り - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks

 

【映画】ヨーヨー•マと旅するシルクロード

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音楽って美しい。人びとって美しい

と、感じさせてくれるドキュメンタリー。世界的なチェロ奏者、ヨーヨー•マ氏と、彼のもとに集った世界各国の音楽家のお話です。彼は幼少期から音楽への天才的な才能を見せたがゆえに、自己選択のないまま音楽家になっていました。大人になってふと気づく。なぜ自分はここにいるのか?なぜ音楽をしているのか?その問いから生まれたのが、シルクロード•アンサンブルだった訳です。 

 

ケマンチェ、中国琵琶(ピパ)、尺八、バグパイプなど、彼のチームメイトは、それぞれの誇りあるバックグラウンドにひもづく楽器を演奏し、東西の伝統音楽と現代音楽を融合させていきます。ヨーヨーマ氏、およびそのチームメイトのインタビューを通して映画が構成されています。彼らや、彼らの国が抱える根深い問題は絶えないのですが、彼らと、彼らの音楽は希望を見いだしています。少なくとも希望につながる可能性を見いだしています。中国、イラン、アメリカ、日本、スペイン•••。国と国の間には複雑性が横たわっていますが、シルクロード•アンサンブルはひとつになり、尊い音楽を生み出しています。それが、観る者の心をつかむのだろう、と思いました。

 

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政治的な独自性は続かない。ベートーヴェン時代の王の名前など誰も覚えていない。だが、言語は文化の一部として残る。音楽は文化の一部として残る

途中の誰かのインタビューでこんな言葉が語られていました。音楽の普遍性を言い表した見事な言葉だと思います。映画の中では北京、イスタンブール、イラン、ニューヨーク、ヨルダン、スペイン、いくつもの国や街でいくつもの音楽が演奏されるのですが、美しい音楽を演奏している人びとの姿はみなほんとうに美しかったです。心からの笑顔が表情に表れて。自分はいまこの瞬間を生きて、この瞬間が喜びに満ちていると、全身で語っているかのようでした。この短いドキュメンタリーをみながら、自分はなぜなんのためにこの世に生まれているのだろう?だとか、ほんとうに心から情熱を注いで自分らしく生きていくってどういうことなんだろう?とか、考えさせられました。正しいことや善いことのために生きていくのも大事だけれども、美しいもののためにも生きていきたいな。少なくとも、美しさを犠牲にする正しさや善さは、ほんものではないな。

 

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ヨーヨー・マと旅するシルクロード - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks

【本】最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと

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マネジャーは人をみる、リーダーは未来をみる

会社の研修で渡された課題図書。リーダーシップとマネージメントの違いについてはいくつかの書籍を含む経験値からある程度の自論があるけれども、この書の明確なまとめもまたこの問題に関する、僕の理解を促進させてくれるものであったと思う。

 

参考までに、僕の自論は、リーダーシップは背中を見せて前に進んでいくこと。マネジメントは身体をこちら側に向け、目の前の人や事象に向き合うこと。いままで出会ってきた上司はこの軸で分類することができる。もちろん彼らはどちらの要素も兼ね備えてはいるが、どちらの要素が強いか?という点でみるとよいでしょう。

 

さてこの書に書かれている、マネジャーは人を、リーダーは未来を、も、言い回しは違えども、ほとんど同じことを言っているように思う。

 

すぐれたリーダー、マネージャーのあり方が各論の方法論まで触れられている

この本がすぐれていると感じたのは、リーダー、マネージャーのあり方について、各論の方法論まで触れられている点だ。たとえば、リーダーのあり方については以下のように述べられている。

 

リーダーであるあなたが、私たちをよりよい未来に導こうするときには、明確さが必要である

 

 

複雑な世界にを明確な洞察に凝縮させる-あなたの組織は誰のために働こうとしているのか、あなたの組織の核となる強みは何か、どの尺度に的をしぼるべきか、どのシンボリックな行動、システマティックな行動にスポットライトを当てるべきかについて明確な答えを出す-能力

 

なるほどね、と。情熱でも、戦略でもなく、明確さであるとのことだ。なぜなら人びとは未来に対する漠とした不安を抱えているから。

 

自分の価値観として、あいまいなところへ惹きつけられる部分は大いにあるのだけど、役割としてのリーダーシップを果たすべき場面において、この書の指摘は頭に入れておいて損はないと思いましたよ。

 

最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと

最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと

 

 


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【キャリア】折にふれて満足するということ

毛色の違う記事を書きますが、タイトルにも触れた折にふれて満足するということが、人生にもたらす効能について改めて確信するにいたったので言葉にしておきたいと思います。

 

達成感とか満足感っていうのは僕は味わえば味わうほど前に進めると思っているので、小さなことでも満足感、満足することっていうのはすごく大事なことだと思うんですよね。だから、僕は今日のこの瞬間とても満足ですし、それは味わうとまた次へのやる気、モチベーションが生まれてくると僕はこれまでの経験上信じているので、これからもそうでありたいと思っています

 

という引用からまず。これ、イチロー選手がメジャーリーグ3000本安打を放った記者会見で、記者から、3000本で達成感を得てしまって、これからのモチベーションに影響しないか?と問われて答えたときの発言です。

 

いや、改めてこの言葉味わい深いですね。

 

なぜこのことを今日考えたかというと、今晩、去年までともに仕事をしていた、昔の仲間と飲んでいた訳です。彼らとは、当時、なかなかお互い忙しいこともあり、強い情熱を持って仕事をしていたものの、ゆっくりとお互いの仕事ぶりについて語らい合う時間を持つことができないでいました。ところが、ほぼ1年の時を経て再会すると、当時の情熱がいま目の前にある景色であるかのように、思い起こされてきたのです。おそらく1年前、自らが当事者として仕事に向き合っていた時代には語ることのできなかった、濃密でくつろいだ会話があったのです。

 

過去にこだわっていまを生きられない生き方をしたいとは思わないけれど、今日のような、時を経たからこそ語り合える昔話に花咲かせられる贅沢な時間に満足して生きていくことは、ゆくゆくはいまの自分を支えていくことになるんだろうなと思ったんですね。まったく後ろ向きではないです、それは。あ、これだけ本気であの当時生きてたから、こういう時間に出会えるんだ、と思えば、いま多少辛いことや思うようにいかないことがあっても、よし、その中でいかに熱持ってチャレンジできるかが勝負と思えてきます。

 

折にふれて、自分自身を満足させてゆく時間はつくりたいと思いましたし、それはおそらく自分が過去紡ぎ上げてきた歴史のなかに、見つけることができるはずだと、確信に至った1日でございました。

 

はい、たまにはこういうエントリーもします。

 

【映画】GOOD BYE LENIN!

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 そういう映画だと思って見てなかったけどジャンルはコメディ

2003年のドイツ映画です。ベルリンの壁崩壊直前に心臓発作で意識を失った母親が8ヶ月後に意識を取り戻した時には、時代は東西ドイツ統一へと大きく舵が切られていた。物語の舞台、東ベルリンには、西側の物資が流れ込み、ファッション、食品、文化、街の香りすべてが自由の世界となってゆく。し•か•しだ。意識を失っていた母親ケルナーは何も知らない。当たり前のように社会主義の世の中が続いていると思っている。そんな中、息子のアレックスに医者から告げられたのは「今度、大きなショックを与えて発作を起こしたら、命はない」。母親想いのアレックスくん、懸命の打ち手は、、、ベルリンの壁なんて壊れてないことにすること】。

いやいやいや、そんなのないでしょ。というのはこの映画では考えてはいけないと、30分くらい鑑賞して気づく。細かいところ無理あるやんとか考えるのもダメなんです。この映画は。母親が食べたいと言えば、当時のピクルスを調達。母親がテレビを見たいと言えば、当時のニュース映像を調達。

 

家を飛び出した母親が東ベルリンで見た空飛ぶレーニン

 

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このシーン、というかこの写真シュールすぎはしませんか。アレックスが眠りに落ちてしまったスキを見て、自宅静養から一歩抜け出し、久しぶりの街歩きにチャレンジ!した母親ケルナーが見たのは、もはや鉄くずと化し、回収されていくレーニン像。呆然と見守る母親。なに、この世界なにが起きてる!?さすがに気づくやろ。とか考えるのもこの映画で言えばたぶんなしなんでしょうね、そういうこと気にする映画ではない、つまりコメディなのだ、この映画は。

いや、想像してた方向とはまるで違うんです。ベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツが舞台。なんて時代設定から考えると、シリアスなストーリー想像しますやん。実際、映画の始まりもなんかいま思えばわざとらしいくらい重々しくはじまるし。で、この、裏切りですよ。途中、呆れながら気持ち切り替えて最後まで鑑賞しましたけれども、なんか見終わったあと、おーい、そういうことなら始めから言ってくれよーと、画面に向かって言いたくなる映画でございました。うん、別に批判してる訳ではないです。だけれども、褒めてる訳でもない。

 

ドイツでは大ヒットした映画だそうです。

 

グッバイ、レーニン! - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks

【映画】善き人のためのソナタ

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自由を求める作家と、彼を監視する役人とを結びつけるもの

 2006年のドイツの映画です。舞台はベルリンの壁崩壊前夜の1984年、東ドイツ。国家に目をつけられたのは自由を求める東ドイツの作家ドライマン。シュタージと呼ばれた秘密警察の役人ヴィースラーは、徹底した監視体制を敷き、24時間ドライマンを監視下におきます。ヴィースラーは大学での講義で、48時間眠らせずに同じ質問をし続けることにより、嘘を見破ることができると語るなど、完全に東ドイツ国家に忠誠を誓う人間でした。一方のドライマン。本心では自由を求めはするものの、東ドイツで作家として生きるには、表立った反旗を国家に翻すことはできないことも分かっていました。ヴィースラーはドライマンの監視を始めるものの、表だった反政府活動は見えてきません。そんな中、反政府的な活動を咎められ、東ドイツでの立場を奪われていた作家イェルスカが自殺します。知らせを聞いたドライマンは哀しみ、生前イェルスカから譲り受けた楽曲『善き人のためのソナタ』を自宅のピアノで奏でます。これがヴィースラーの心を動かします。

 

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地下でひとり『善き人のためのソナタ』を聴くヴィースラー

静かなピアノの音。それよりも静かな地下壕。そこでひとりドライマンの監視を続けるヴィースラー。そこに流れてきたのは、ドライマンがイェルスカの死を悼んで贈ったレクイエム、『善き人のためのソナタ』。思わず涙するヴィースラー。監視するものとされるものとの立場を越え、音楽が人の心を通わせた瞬間を捉えたシーンです。この時まだ、ドライマンは自分が監視されていることは知る由もありません。もちろんヴィースラーの存在も。そんな二人を結びつけた音楽というものの尊さが光りました。

 

映画の中の映画と呼ぶにふさわしい

こういう映画があるから、僕はきっとこれからも映画を見続けるんだろうと思えた映画でした。ベルリンの壁が崩壊し、自由な国家となったドイツで出会う、ヴィースラーとドライマン。そこで終わるラスト。その出会い方に余韻があり、静かな映画の締めにふさわしいものとなっています。

本作品は、僕の中での2018年現時点で堂々トップに躍り出ました。

 

善き人のためのソナタ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks

【本】物語のおわり

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湊かなえブラックは影を潜めた

この作家といえば『告白』のイメージが強いんですよね。筋はよく覚えていないけど、学校を舞台にしたとにかく不気味な小説だったことを覚えています。その不気味さによって作家としての彼女の立ち位置が際立っているという印象を持っていました。

今回、相当久しぶりに湊かなえさんの本を手にとったのはそうしたイメージと、『物語のおわり』というなにか想像を掻き立てるタイトルが重なってのことでした。しかし残念なことに、本書ではそうした湊かなえさんの勝手な特色だと思い込んでいた不気味さは影を潜めた印象を持ちました。長らく見ない間にスタイルが変わったのか、あるいは、本作が湊かなえさんにしては挑戦的なスタイルをとったのかはわかりませんが。『告白』だけのイメージでこの作家を語っているので、素人評であることは承知の上で語りますが、彼女の小説は、そこに漂う不穏さによって読者が先を読み進める動機を与えてきていたと思っていたものだから、それのなくなった本書では、かなり辛口であることを覚悟して書くと、誰にでも書ける既視感のある展開になってしまった気がしたのですよ

 

結末のない小説から始まる第1章はドキドキした

とはいえ、冒頭の章にはその独特の雰囲気は確かにありました。

-田舎町の夢追う少女が大人になり、街で出会った憧れの高校教師と婚約が決まる。だけど彼女には夢がある。小説家になるために、東京の有名作家の弟子として住み込みで修行をしたい。彼は反対。両親も反対。思いつめた彼女は、誰にも言わずバスに乗って街を出る。しかしバスを降りると婚約者が待っていた。

ここで第1章、おわり。おっ、と思わせる展開だったのですよ。ここに出てくる婚約者のハムさん、優しい男なのだけど、何考えてるのかわからない不気味さもあって、なにかが起こる予感を思わせた入りではあったのです。

しかしここから続く章がどうも僕の琴線には響かなかった。第2章以降は、夢を追う人、夢をあきらめつつある人、夢の邪魔をしてしまっているかもしれない人、そのようにして北海道にやってきたさまざまな立場の人の物語がオムニバス的に続きます。そして第1章の物語が文字になった原稿に出会う。最後、ハムさんがバスから降りてきた第1章の主人公の少女を出迎えるシーンをどのように解釈するか?についてを、自分の立場に置き換えながら、解釈していく章立てが続くのですが、第3章くらいでこのパターンに飽きてしまいました(泣)

そしてラストでこの本の伏線はいったん回収されますが、うーんなんとも既視感のある展開で、期待したものは得られなかった感じでした。

 

小説次どうしようかなと迷います。村上春樹の系譜に戻って、『グレートギャツビー』とか『キャッチャーインザライ』とかこの辺りにいこうかなあ。

 

物語のおわり (朝日文庫)

物語のおわり (朝日文庫)