Tokyo diary

本と映画の記録です

【本】みみずくは黄昏に飛びたつ

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面白い何かを外に取りに行くっていう感じじゃなくて、そこに行けば大事な場所に戻ることができる、みたいな感じ

 

という言葉が出てきます。本書の文脈ではこれは、村上作品とは何かという文脈で語られるのだけど、これがこの本をひとことで表した名フレーズだとも思います。

そうだ、何の本かを書いてなかった。これは作家の川上未映子が、村上春樹を4回にわたってロングインタビューしたものを文字に起こしたものです。

表表紙には、

騎士団長殺し』誕生秘話、創作の極意、少年期の記憶、フェミニズム的疑問、名声と日常、そして死後のこと。作家にしか訊き出せない、作家の最深部に迫る記録。ただのインタビューではあらない

と、書かれているんです。幾度となく村上作品を読んできた僕としては、この言葉だけでもうそそられてしまうわけです。年末に一度見かけたのだけど、その時はどうも実学/ビジネスの世界(春樹的に言えば地下の世界ではなくて、地上の世界)の雑事に忙しく、なかなか地下にもぐってゆく余裕がなかった。今回改めて書店で目にして、「いまふさわしいときだな」と直感的に思い、一気に読み終えました。

 

語り口、文体を大切にすること

 

本書の中盤で目を惹かれた言葉がありました。

何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。(中略)内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません

と、あるんです。村上春樹は、小説家の中で主要な論壇とは一定の距離を保って生きてきた作家です。その背景には論壇のテーマ市場主義への反発があったと、本書では語られています。何を語るか、何を主題とするかありきで、どのようにそれを物語るのかは二の次とされてしまうということ。このことへのアンチテーゼが、上記引用の言葉を生み出しているのかと思います。

率直に言って、これには深く胸を打たれました。よく見かけるビジネスセミナーとかでも、何を語るかは、相手に届くメッセージに与える要素の中の7%(だか8%だか忘れたけど)にしか過ぎないと言われるじゃないですか。だから、アイコンタクトや、身振り手振り、語り方を大事にせよと。知識としてそういうことを知ってはいたけれど、こういうコンテキストの中で語られることによって、つまりメッセージが文脈の中にノッてくることによって、似たようなメッセージであっても深く自分の心に刻まれるのだなということを、この文章を持って実感しました。メッセージは、物語に乗せられるべきである。

 

善なるものを信じる村上春樹の生き方

 

ただ、物語って悪しき部分も含んでいます。本書でもこのテーマは扱われるのだけど、宗教もカルトもそうで、理性を超えたなにかを信じさせる力が物語にはあるんですよね。このことについて少なくとも私たちは自覚的でなければいけないと思う。そんななか、村上春樹はたとえ紙とペンがなくなったとしても、ひとびとは4万年も5万年も物語を語り継ぎながら、この人間社会を築き上げてきたことへの畏敬の念と、信頼を寄せる発言を本文の中でしています。持続的なことへの敬意、というのでしょうか。物語り続けていまここに人間がある限りは、善なる物語が自然と受け継がれてゆくという、人間性への信頼。ここのところに僕が村上春樹を好きでい続ける理由があると思います。世界はときどき醜く、ひどく私たちを疲れさせる要素も秘めているけれど、最後には笑って赦してもいいかななんて思わせるだけの善なるなにかがこの世の中にあるということもまた、真実なのかなと、本書を読んで思いました。

 

インタビュアーの川上未映子氏の執念が光る傑作です。是非ご一読を。

 

みみずくは黄昏に飛びたつ

みみずくは黄昏に飛びたつ